4カ国語を操るフランス人の日本好きな彼がソーシャルアパートメントで働く理由
首都圏中心に38棟約2,000戸(2018年5月時点)の交流型賃貸マンション「ソーシャルアパートメント」を企画運営し、近年ではカフェやソーシャルランドリー、ゲスト交流型のライフスタイルホテルを全国各地に手掛けるグローバルエージェンツ。
「新しいライフスタイルを文化にする」をミッションに掲げるグローバルエージェンツでは、どんな”ヒト”が、どんな”想い”で、どんな”仕事”をしているのか。一緒に働く社員すら知らない同僚の昔ばなしを掘り下げながら、紐解いていきたいと思います。
今回の主役は、ソーシャルアパートメントの営業部に所属しながら、社内の国際マーケティングに取り組むザカリコクスン(Zacharie Coskun)さん。
社内ではザックの相性で親しまれ、フランス語、英語、日本語、イタリア語の4ヶ国語を巧みに操り、社内でも頼られる存在。大柄な風貌とは裏腹に、優しさが全面から溢れる彼は、どんな半生を歩み、グローバルエージェンツに辿り着いたのか。
グローバルエージェンツへの興味問わず、ひとりの人生の物語としてお楽しみください。(8,ooo字近いロングインタビューです)
インタビューイ
名前:ザカリコクスン(Zacharie Coskun)
年齢:31歳 ※2018年5月時点
部署:ソーシャルアパートメント事業部 営業マーケティング担当
略歴:2014年4月入社。グローバルエージェンツの子会社であった外国人向け賃貸サイトを運営する「FLAT」に所属し、外国人に賃貸マンションを紹介。子会社の解体と共に、ソーシャルアパートメントの営業部に転籍し、持ち前の語学力を活かし、外国人入居率の増加に貢献。現在は全社の国際マーケティングも担う。
インタビューア
名前:内山拓哉
年齢:30歳 ※2018年5月時点
部署:ソーシャルアパートメント事業部
略歴:2012年7月入社。ソーシャルアパートメントに住むと同時に、土日のみの社会人アルバイトとして入社。前職との2足のわらじを履くうちに、満を持して正社員に。ソーシャルアパートメントの営業、運営、開発を経験した後、関西初のプロジェクトを担当。現在は拠点を神戸に移し、ウェブマーケティングやサイト管理などを担当。
(東京⇔神戸のためオンラインインタビュー)
―ザックの過去を聞いたことなかったので、とても楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします。
ザック:意外とそういう話ってしたことないもんね。よろしくお願いします。
―早速ですが、生い立ちから聞かせてください。
ザック:生まれはフランス、母がイタリア人、父がトルコ人です。フランスで生まれましたが、父の仕事ですぐにアメリカに行ったので、小さい頃はアメリカで育ちました。
そのあと、13,4歳のときに父がまた転勤になり、フランスに戻りました。なので、小学校はアメリカ、中学校はアメリカとフランスで半々ですね。
―いきなり初耳ばかりです(笑)国を越えた転校で言葉とか大変じゃなかったですか?
ザック:言葉は自然に学んでいったので、そこまで大変じゃなかったです。アメリカの学校だったので、学校では英語、家ではフランス語、おばあちゃんとはイタリア語でしたが、そこまで苦労はなかったですよ。
ただ子供の頃は、おとなしく、積極的に話すタイプではなかったです。
(3歳の誕生日。世界を飛び回るお父さんと)
―なるほど。中学の途中でフランスに転校したときも大変じゃなかったですか?
ザック:フランスに転校して最初の1年はとても苦労しました。アメリカ人とフランス人は考え方が少し違うので、最初は全然友達ができなかったです。
アメリカはオープンマインドで、変わった興味を持っていても誰とでも友達になれますが、フランスはどこかクローズドで、外から来ている人はグループに入りづらかったりします。
(15歳、初めてパリに行ったとき)
フランス語もうまくなかったし、その頃太っていたので最初の1年は、友達ができなくて辛かったですね。
趣味とかも違っていて、僕はアイスホッケーをやっていましたが、フランスは全然流行ってなくて…ベースボールとかTVの話も全然合わなくて、友達になるのが難しかったです。
―興味深い文化の違いですね。アイスホッケーはどんなきっかけで始めたのですか?
ザック:The Mighty Ducksは知ってますか?(日本語で「飛べないアヒル」)アイスホッケーのドラマで、ドラマのチームが現実のチームになるくらい人気でしたが、そのドラマがきっかけで始めました。
アメリカの中学ではアイスホッケーばかりしていましたが、フランスではアイスホッケーが全然人気がなくて…ギアとかめちゃ高いですし…中学卒業と同時にアイスホッケーは辞めてしまいました。
最近妻と横浜のスケートリンク行きましたが、全然滑れなくなっていましたよ。あ、これは書かなくていいからね(笑)
(Edison Team、アイスホッケーのチームのメンバーと)
―中学卒業後はどんな進路に?
ザック: 経理の専門学校に4年行きました(フランスの高校生活は4年)。そのときは、若かったので、やりたいことが分からなかったですし、母が経理の仕事をやっていたので何となくで選びました。
ただこれが大失敗(笑)全然興味なかったので勉強が辛かったです。このとき、絶対経理の仕事は無理だと思いました。
―高校は苦行の時代だったのですね。高校卒業後はどうなりました?
ザック:高校卒業後は、日本の文化が好きだったので、日本の歴史を勉強できる大学に行きました。
―日本の話が出てきましたね。いつから日本に興味を持っていたのですか?
ザック:小学生くらいの頃から海外に住みたいという夢がありました。父の出張に付いていくなかで自然とそう思うようになりまして。
日本にも行ったことがあり、そのときに日本人の温かさを知って、いずれは絶対に日本に住みたいと思っていました。
(フランス大学の友達と一緒に)
―日本人として嬉しいです。大学生活のことも教えてください。
ザック:大学は3年間、日本の歴史を勉強していました。そんな中、日本への旅行を6回くらいしましたよ。最初は1週間、次は3週間、次は1ヶ月、次は3ヶ月ってドラッグみたいにハマっていきました(笑)
外国人は乗り放題の新幹線パスがあるのですが、そのパスで日本全国を回っていました。それこそ、北は北海道、南は沖縄まで、ゲストハウスとかドミトリーを泊まり歩いていましたよ。
―神戸(インタビューア在住)も来たことあったのですね?!
ザック:もちろん神戸も行きました。大阪とか神戸とか、関西が一番好きでしたね。人の温かさが全然違くて、地下鉄乗るだけで分かります。東京はやっぱり雰囲気が冷たくて、関西の人の方が温かかったですね。
そんな大学生活を過ごす内に、卒業したら日本に住もうと決めました。
ただ日本の日本語学校は、とても高いです。2年間で200万くらい。なので、大学卒業後は、1年半くらいフランスの映画館でフルタイムの仕事をして、お金を貯めました。
(初めて日本に着いたとき)
―その頃はまだ日本語は話せなかったですか?
ザック:そうですね、全然話せなかったです。なので、まずは日本の語学学校に行こうと思いました。映画館で1年半くらい働いて、本当に200万くらい貯金しましたよ。僕、こうと決めたらやり切るタイプなので(笑)
映画館の仕事は楽しくて、映画のスケジューリングをしたり、映画のレビューを書いたりしていました。マイナーな映画館だったので、特別上映ばかりで海外の映画とか、もちろん日本映画も流れています。
「KITANO」の映画とかね。映画大好きだったので、毎日映画三昧でした。
(レインボーブリッジにて)
―なるほど。その後日本へはいつ来たのですか?
ザック:日本に来たのは2010年の3月です。最初は大阪の日本語学校に通うために、神戸の外国人向けシェアハウスに住みました。関西人が好きだったので、まずは関西へと思いまして。
日本語学校はとても楽しかったですね。特に1年目はスピーキング中心で、どんどんレベルが上がっていくのが実感できたので。ただ2年目は漢字ばかりでつまんなかったです(笑)
週に5回学校通って、毎日日本語の授業を受けていました。日本人が12年間で学ぶカリキュラムを2年間で詰め込むので大変でしたよ。
ただ情熱を持っていたので、上達も早く、学校のスピーチ大会で1位になったりもしました。
(優勝したスピーチ大会にて)
―そこで日本語が話せるようになったのですね。2年間、関西にいたのですか?
ザック:関西は最初の6ヶ月です。関西は好きでしたが、外国人が働くにはやっぱり東京がいいと思ったので。6ヶ月後には転校して、東京に引越ししました。
東京ではいろいろなところに住みました。最初は外国人向けのシェアハウスでしたが、3,4ヶ月くらいで飽きちゃって、ほかのシェアハウスだったり、ひとり暮らしだったり。
この家探しが本当に辛くて、今の仕事のきっかけにもなりますが、本当に辛かった。外国人ってだけで断られることが多くて、お店に入っただけで「NO GAIJIN」ってバツされたり。本当にショックでした。
アメリカやヨーロッパじゃあり得なくて、外国人OKな不動産屋さんだとしても審査で落ちたり。日本語で日常会話はできましたが、学生+外国人って理由だけで、家探しはとても苦労しました。
(日本語学校にて。最初のクラス)
―日本で外国人が家借りるって大変って聞きます…無事見つかってよかったです。
ザック:外国人フレンドリーな不動産屋さんを見つけて、小さいアパートを借りることができました。
当時は、学校通いながら色々なアルバイトをしていて、フランス語の先生だったり、英語の先生の先生だったり、幼稚園で子供と遊ぶ仕事をしたこともあります。
ただ僕身体が大きいので、子供がびびっちゃってすぐ辞めちゃいましたけどね(笑)
一番好きだったのが、「ワッツイン」って音楽雑誌のライターです。
コンサート行ってレポート書いたり、アーティストにインタビューしたり。J-POP大好きだったので、ホント楽しかった。宇多田ヒカルとかBoAにインタビューしたこともあります。
(このときも一番大きかった(笑)とのこと)
―ちょっと待った!そんな仕事なかなか出会えないですよね?
ザック:インターネットで募集していて、僕が書いた前の記事を送ったらOKになりました。僕、大学生の頃からウェブサイトを持っていて、CDのレビューやコンサートのレポートをアップしていたんです。
フランスでは一番人気のJ-POPファンサイトでした。URL消しちゃったけど、アーカイブだったら見れるかな?
そうこれこれ(立派なサイトでした…)、恥ずかしいから公開しないでね(笑)
―SEOに詳しかったり、ウェブの知識があったのは、この経験でしたか…(ザックはウェブ運用にも携わっています)
ザック:そうですね、その頃独学でよく勉強していて、フォトショップやイラストレーターも使っていたので、今の仕事で活かせています。
その雑誌の仕事は楽しかったですが、半年くらいで辞めました。
ちょうど日本のマーケットがアイドルばかりになってきた時期で、僕はアイドル好きじゃなかったです。AKBのコンサート行ってこいとか言われたので、辞めてしまいました(笑)
(日本語学校の卒業式にて)
―おもしろいエピソードですね(笑)語学学校を卒業して、その後は日本で就職ですか?
ザック:卒業後は、某シェアハウスの運営会社で働きました。さっきも話しましたが、僕は家探しにとても苦労したので、これから来る外国人を助けたかった。
自分が体験した辛いことは、これから来る人たちに体験してほしくなかったです。
そんな思いで就職し、その職場ではシェアハウスの案内から契約まで、営業の仕事をしていました。認めてもらえたので、1年後には、外国人チームのマネージャーになれましたよ。
海外で悪いイメージを持たれていたシェアハウスで、僕がマネージャーになったら会社のイメージ直したいと思っていたので、頑張りました。最終的に売上140%くらいアップさせることができましたよ。
―結果を出していたのですね。どれくらいの期間働いていたのですか?
ザック:2年くらいです。最終的には会社の考え方と自分の考え方が合わないと思い、辞めることになりました。
そのとき自分が誇りを持ってできる仕事がしたいと探していたのですが、そんなとき、友達がソーシャルアパートメント狛江に住んでいて、ソーシャルアパートメントのことを知ったんです。
こんな住まいがあるんだと驚き、ソーシャルアパートメントのことをネットで調べたら、いいコメントばかりで。そのとき、グローバルエージェンツで働くことに興味を持ちました。
(ニュースに取り上げられたとき)
―そんな経緯での入社だったのですね。最初の配属はFLAT(グローバルエージェンツ旧子会社 外国人向け賃貸サイト運営)でしたね?
ザック:そうですね、ソーシャルアパートメントの営業部で応募しましたが、社長にFLATで働くことを提案してもらいまして。好きじゃなかったら部署移動もできるよって言ってくれたので、まずはやってみようと思いました。
ただ実はFLATでの仕事は辛かったです…外国人に一般賃貸を紹介する仕事でしたが、やっぱり外国人に紹介できる部屋が少なくて。
紹介できても、審査で落ちてしまったり…FLATのときは、毎日保証会社や管理会社と戦っていましたよ(笑)
お客さんが気に入って申込みしてくれても60%くらいが審査で落ちてしまって、心が痛かったです。
自分が辛かったから、辛い思いをして欲しくないとこの仕事をしているのに、自分が断る立場になってしまったので。
FLATでの仕事も仕事的にはおもしろかったですが、システム的に外国人への賃貸物件を紹介することの難しさを経験できました。
(社内での様子。結婚式の写真を同僚に)
―それは確かに辛い経験でしたね。その後現在のソーシャルアパートメント営業部へ異動したのですね。
ザック:会社としても外国人向けの一般賃貸が難しいと判断した時期だったので、FLATの事業から撤退することになりました。
ソーシャルアパートメントだったら、自社物件なので入居から申込までコントロールできるし、外国人をサポートするという、自分がやりたかったことができると思っていました。
ソーシャルアパートメントのサイトは日本人向けで、外国人向けにケアできてなかったので、そこさえケアできれば、絶対外国人に良さが伝わるなと。
実際国際マーケティングに力を入れ始めてから、外国人の入居率の割合も増えて、目標だった外国人入居率15%も達成することができました。
参考記事:外国人が多いソーシャルアパートメント
(実際の内覧風景)
―それは社内でもかなりの偉業でしたね。現在の仕事のことも教えてください。
ウェブサイトで問い合わせのあったお客さんに、ソーシャルアパートメントを案内しています。
メールや電話で問い合わせがくるのですが、実際に物件を内覧して、ソーシャルアパートメントを気に入ってもらうことが仕事です。
最近はYouTuberとコラボレーションして、海外のお客さんにアプローチしたり、国際マーケティングにも力を入れています。
―ありがとうございます。最後の質問になりますが、ザックはこれから公私問わず、やりたいことはありますか?
ザック:プライベートな話になりますが、家族作りたいです。そして、新築の家買いたいですね。
(ザカリさんの奥さんは日本人です)
―家族の話が出たので、せっかくなので、奥さんとの馴れ初めも少し教えてください。
ザック:妻は日本人ですが、日本語学校通っているとき、友達の紹介で知り合って、仲良くなりました。
よく国際結婚で大変でしょと言われますが、そこまで大変でもなくて。ただ初めて彼女のお父さんお母さんに会う時は、緊張しました。
敬語が得意じゃなかったので、不自然な言葉になっちゃって…逆にみんな笑ってくれましたけど(笑)
そんな彼女と家族を作りたいと思っています。そして日本で新築の家を買いたい。結婚して3年経つと永住権がもらえるので、とうとう家が買えます。
ずっと家が欲しくて、海外で育ったので庭付きの家とかいいなと思っています。東京だと難しいかもですが、少なくともBBQできるようなスペースは欲しいなと。
(結婚式はフランスにて。結婚式のワンシーン)
僕ゴールを決めたら、それに向かって諦めずに進むタイプです。日本に住むって夢も諦めずに叶えたし、どれだけ道が長くても、失敗してもやりたいって思っています。
まずは土地を買って家を建てる。中古を買ってリノベーションするとか考えてなくて、やるからには中途半端にせず、新築で建てたいと思っています。
ただ、それが原因で妻と言い合いになったりしまして(笑)東京の新築なんていつになったら買えるのよってね(笑)
ホントその通りですが、実現のために仕事を頑張りたいと思っています。
―ザックの原動力が知れて、より一緒に働きやすくなった気がします。もっと多くの外国人にソーシャルアパートメントを知ってもらえるようにしていきたいね。明日からまたよろしくお願いします。
ザカリさんの仕事における大変さやプライベートの過ごし方が気になる方は、こちらもご覧ください。
wantedlyインタビュー:ただの職場や役職というだけでなく、家族のようなものです。
(編集後記)
ザックとは、ソーシャルアパートメントの営業部で一緒に働いています。語学力堪能で、言葉に困ったらいつもザックに相談させてもらっていたり。
国際マーケティングに力入れて頑張っていることは知っていましたが、こんな背景があることは知りませんでした。
どんな仕事をしても結果を残してきていて、やると決めたことを必ずやり遂げる力。どんな仕事にも求められるスキルで、さらに4ヶ国語を巧みに操れるのであれば、どこの職場にいっても彼は引っ張りだこでしょう。
そんな彼の新たな夢は、日本で家族を持って、家を買うという、日本人にとって馴染みのある夢でした。ただ逆に自分がフランスで家族を持って、フランスで家を買うと考えたとき、途方もない夢に思えてしまい、彼はそんな夢に向かっているのだな、と改めて尊敬の念を覚えます。
そんなザックは、ソーシャルアパートメントの営業部。もちろん最前線で活躍しているので、お問い合わせ頂いたら内覧で会うこともできますよ。ぜひ彼にソーシャルアパートメントの魅力を聞いてみてください。
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