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ダンスに夢中だった彼女がホテルの立ち上げを通して感じた悩みと成長

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ダンスに夢中だった彼女がホテルの立ち上げを通して感じた悩みと成長

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首都圏中心に39棟約2,000戸(2018年6月時点)の交流型賃貸マンション「ソーシャルアパートメント」を企画運営し、近年ではカフェやソーシャルランドリー、ゲスト交流型のライフスタイルホテルを全国各地に手掛けるグローバルエージェンツ

「新しいライフスタイルを文化にする」をミッションに掲げるグローバルエージェンツでは、どんな”ヒト”が、どんな”想い”で、どんな”仕事”をしているのか。一緒に働く社員すら知らない同僚の昔ばなしを掘り下げながら、紐解いていきたいと思います。

今回の主役は、前回の村上さんに続き、2017年7月にオープンしたライフスタイルホテル「ミレニアルズ京都」でホテル運営に関わる山本美月さん。

山本さんは、沖縄のエスティネートホテルの立ち上げ時にも参画し、グローバルエージェンツのライフスタイルホテルの展開において、最前線を走ってきました。ハキハキした話し方と堂々とした態度、とても20代前半とは思えないオーラを持つ彼女にはどんな昔ばなしが出てくるのか。

グローバルエージェンツへの興味問わず、ひとりの人生の物語としてお楽しみください。

※10,000字近いロングインタビューです。簡易インタビューはこちらをご覧ください。

wantedly社員インタビュー:年齢やポジションに関係なくを提案できることも、10代で入社した自分には驚きでした。


(写真左 山本、写真右 内山)

インタビューイ
名前:山本美月
年齢:非公開
部署:ホテル事業部 ミレニアルズ京都 運営担当
略歴:2013年10月入社。ワールドネイバーズ護国寺に併設するワールドネイバーズカフェでアルバイト採用され、東京根津のホテルグラフィーでフロントを担当。沖縄のエスティネートホテルの立ち上げを経て、ミレニアルズ京都の立ち上げに参画。現在はミレニアルズ京都でホテル運営の中心メンバーとして、主にオペレーション作りに力を注いでいる。

インタビューア
名前:内山拓哉
年齢:30歳 ※2018.4時点
部署:ソーシャルアパートメント事業部
略歴:2012年7月入社。ソーシャルアパートメントに住むと同時に、土日のみの社会人アルバイトとして入社。前職との2足のわらじを履くうちに、満を持して正社員に。ソーシャルアパートメントの営業、運営、開発を経験した後、関西初のプロジェクトを担当。現在は拠点を神戸に移し、ウェブマーケティングやサイト管理などを担当。

 

―今まで社内イベントとかで顔合わすことはあっても、ゆっくり話すことはなかったですね。

山本さん:確かにそうですね。ミレニアルズ京都でご一緒するまでは、話す機会も少なかったですし。

―今日はいろいろと山本さんの話を聞けたらと思っています。早速ですが、生い立ちから教えてください。

山本さん:生まれは東京の武蔵村山市です。武蔵村山市知っていますか?埼玉県との県境で、東京で唯一駅がない街と言われています。小さい頃は隣の大家さんの畑の泥遊びをしているような子だったので、東京郊外の田舎で育ったんだなと思ってもらえればと。


(幼少期の写真)

―東京出身と聞いていたので、勝手に都心でキラキラ育ったイメージでしたが、東京の郊外だったのですね。幼少期はどんな過ごし方でしたか?

山本さん:習い事をいくつかしていて、その中でも小学校1年生のときから習っていたヒップホップダンスに熱心で、ダンスに捧げる人生でした。小学生のときは、本気でダンスでご飯を食べていくと思っていたくらいです。発表会やコンテストに向けての練習も一生懸命やっていました。

―早速初耳ですね。が、確かにヒップホップっぽい雰囲気持っているなと妙に納得です。

山本さん:どんな雰囲気ですかそれ(笑) 小学校入る前から水泳も習っていて、中学校では水泳部だったんですが、ダンススクールは変わらず通っていましたね。ただ中学入ってからは、ダンスで食べていくことについては悩んでいました。

丁度キッズダンスが流行り出した頃で、ダンス人口も増えていたのですが、世間的に今よりダンサーを職業と考える概念はあまりなくて、同世代で活躍している人を見ていると、自分はこの世界では厳しいかもと考えるようになってしまって…プロダンサーとしての人生は、中学で諦めてしまいました。


(ヒップホップダンスをしていた頃)

―なるほど。それでもダンスは続けていたんですね。

山本さん:そうですね。学年が上がるにつれて、みんなをまとめる立場だったり、教える立場だったり、踊ることは自体は好きだったので続けていました。そんななか、高校受験のときに、それまでの人生で一番の挫折を味わいます。

自分で言うのもなんですが、小中は成績も良く、コミュニケーションもできる子だったので、割と何でもうまくいっていました。今思えば、天狗でしたね(笑) 行けると思っていた都立の高校に落ちてしまい、その頃から小さな反抗期が始まります。

―小さな反抗期とは?

山本さん:学校にはお昼だけ食べに行ったり、授業をサボって保健室で寝ていたり。明るい登校拒否って感じですね(笑)そのときもダンススクールには通っていたので、夜はひたすらダンスをしていました。ダンスの練習ってなぜか深夜帯が多いんですよ。都心のスタジオに終電で向かい、始発で一時間半かけて実家に帰り学校に行くという生活で、授業中は、寝ていることも多かったですね。

当時野球部の部長と仲良かったんですが、授業中寝ているわたしが先生に起こされそうになったとき、「こいつ頑張っているんで起こさないで」という微笑ましいやり取りがあったくらい(笑) 友達には本当に恵まれていました。


(高校時代の写真)

―野球部部長に庇ってもらえるって相当頑張っていた印象ですね(笑)プロを目指さなくとも、ダンスに夢中だったということですね。

山本さん:そうですね。中学までは、自分にとってダンサーは有名になって、職業にするが当たり前の価値観でしたが、高校に入って前よりも活動範囲が広がり、色んな向き合い方があるなと。プロは諦めたけど、踊ることは楽しくて。そんな感じでで、ダンスとアルバイト三昧の高校時代でした。アルバイト禁止だったんですけどね(笑)

がってん寿司ってあるじゃないですか。そのがってん寿司の裏方で「がってんしょーうち!」ってやっていましたよ(笑)

―なるほど、その後はどんな進路を?

山本さん:最初進学するとは考えていなくて、働こうと思っていました。若く結婚して育ててくれた両親を尊敬していて、当時学校に行く理由もわからなかったので私も社会に出たいと思っていたのですが、両親から進学をしなかった後悔と私への思いを聞いて、考えるようになりまして。漠然と英語は話せるようになりたいと思っていたので、大学留学と英語とコミュニケーションいうキーワードで学校を探しました。


(昔を回想中の山本さん)

―英語というキーワードが出てきましたね。英語には興味があったのですか?

山本さん:母に留学経験があったり、地元が米軍基地に近かったり、ダンスで洋楽もよく聞いていたので、英語には自然と興味を持っていました。ただお昼寝でお世話になっていた保健室の先生に、大学進学は英語が話せるようになりたいですることじゃない、専門知識を英語で勉強するためだと諭されまして。まともに勉強もせずに甘いよ、という通告だったのだと思いますが、もっともだと納得しました。

アルバイトで接客の楽しさを経験していたのと語学と専門的な知識をつけたかったので、最終的には外語系専門学校の国際観光科に進学しました。

午前は英語クラス、午後は専門的な国際観光を学ぶ学校だったのですが、上位の英語クラスは先生に恵まれて、もっと話せるように理解できるようになりたいと思いましたし、成長を感じました。ただ逆に観光の授業は正直おもしろくなく、ホスピタリティやマナーって答えがないので、実践した方が早いだろうなと思っていました。

そんななか、夏休みを利用して1ヶ月間海外でインターンできるプログラムがあったので、海外の旅行会社で働く経験をする機会がありました。


(インターンの頃)

―どんな経験だったか詳しく教えてください。

山本さん:かなりマイナーなブルネイという国で、石油で成り立つアジアでも裕福な国だったんですけど、自分たちでツアーを組んで、自分たちでアテンドするという仕事をしていました。その頃は、海外で日本人をアテンドする現地ガイドという仕事に興味を持っていたので、インターンを通して経験することができたんです。

余談ですけど、そこがなかなかパンチの効いた国でして。王政を取る国で、断食終わりのお祝いで王族と握手できる日があるんです。ツアーでも組まれるくらいで、国民にとっても大きなお祭りなのですが、その握手会、めちゃ並ぶんですよ。

ただめちゃくちゃ待って、いざ握手するという瞬間があまりに塩対応で。王族の人たち、握手じゃなくて、指先をちょんて感じですよ(笑)ちょんって(爆)AKBの対応を見習ったほうがいいです。そんなちょんのために、こんな多くの人が並ぶんだなと。なかなか衝撃的な体験でした。


(すごい並ぶ握手会…)

―山本さん、、、やっぱ話おもしろいですね(笑)

山本さん:いえいえ(笑)そこで興味を持っていた現地ガイドの仕事を体験できたのですが、実はそこまで刺さらなくて… 初めてで新しい体験でしたが、これをやりたい!という感動は正直なくて。生活は衝撃的なことばかりでしたが、仕事として続けていくイメージは湧きませんでした。、日本に帰って日本人でよかった、やっぱり日本っていい国なんだなと思いました。

その頃からですね、日本で海外の人を受け入れる仕事に興味を持ち始めたのは。

―その興味がホテルに繋がるのですか?

山本さん:いえ、まだそのときは、ホテルというわけではなく、輸出だったり、販売だったり、何かものを通して日本を海外の人に知ってもらえたら程度の興味でした。

そんな将来を漠然と考える日々のなか、専門2年はなかなかひどくって(笑) 土日は映画館、夜は居酒屋でアルバイト、そしてダンスサークル、さらにはキッズスクールでダンスを教えることもしていたので、学校生活が疎かになりました。インターンから帰ってから授業が面白くなかったのと、本当にやりたいことがわからず周りの就活雰囲気から逃げていたのだと思います。

気付いたら単位が足りず、卒業ができない事態に…高い学費を払うくらいなら、働こうかと卒業を諦めかけたのですが、祖母からの一言で目が覚めます。遅いですね。(笑)在学中に語学力の向上と自立の準備に向けて動こうと環境を改めました。

往復3時間弱の通学がネックだったので、木場の祖母宅に住んで、夜中心の生活を変えるために映画館と居酒屋のアルバイトも辞めました。

昼間働ける外国の人が来るカフェとかないかなと探していたときに、ホテルグラフィー根津に出会います。


(専門時代の課外授業にて)

―グローバルエージェンツに繋がりましたね。

山本さん:素敵なコンセプトだなと応募したのですが、まさかの廣田さん(飲食事業部マネージャー)にメールでお断りされまして(笑)

ホテル兼カフェの求人ってなかなかないので、とてもショックでした。ただそこでグローバルエージェンツを知って、護国寺のカフェで求人しているのを見つけたんです。

ソーシャルアパートメントに併設していて、住んでいる人も外部の人も使えるっておもしろそうだなと。

関連記事:カフェ併設型ソーシャルアパートメント「ワールドネイバーズ護国寺」の魅力に迫る!

当初探していた労働環境とは違いましたが、既に会社に興味があったので早速応募したら、廣田さんアゲインです(笑) また応募ありがとうございますって、恥ずかしくて穴があったら入りたいと思ったのを覚えています。熱意を認めてもらえたのか、今度はとりあえず会いましょうとなり、面接して頂くことになりました。

―当時の廣田さんは飲食事業部、全て見ていましたからね(笑)

山本さん:まさか担当が同じ人とは知らず(笑) 面接行ったら、ヒゲで髪くるくるな人がでてきまして。面接では、おもろいやんっとなり、合否は改めて連絡しますって流れだったんですが、最後にいやーどうすっかなー…やっぱ働く?っと、その場で採用して頂けました。


(2014年当時、ヒゲで髪くるくるな人はどれでしょう)

―廣田さんを知っていると、その様子がおもしろいくらい目に浮かびますね(笑)

山本さん:まさかでしたね。採用頂けたので、朝メインにカフェで働きながら、学校には通いつつ、学内募集していた短期で来る留学生のサポートボランティアをしていました。

それまでも留学生と交流はありましたが、そのとき初めて友達と呼べる海外の友達ができたんです。LGBTや宗教信仰者、色んな価値観を持った同世代と、異文化交流や語学という同じ興味を通して深く関わることがきっかけとなりました。、そして、もっと色んな人と関わりたいなと思うようになりました。語学力もここでぐんと伸びたと思います。

―カフェでは、どんな働き方をしていましたか?

カフェでは先輩たちから接客を一から学び、お客様との交流も以前のバイトよりもっと楽しく感じるようになりました。最初は回せなかったピークも慣れてくるとできるようになり、もっとこうしようとトライアンドエラーを繰り返す先輩達に必死についていこうとしてました。部活みたいでしたね。(笑)

半年延びた卒業も無事クリアし、進路を考えていた頃、。護国寺カフェでの英語接客を見て、グラフィーを手伝ってくれへんかと廣田さんから声が掛かりました。見てくれている人がいる!と、とっても嬉しかったです。


(護国寺のカフェで働いていた先輩方と、真ん中は前回インタビューの玖瑠美さん)

―また廣田さんですね(笑)

山本さん:わたしのターニングポイントには、廣田さんが必ず登場しますよ!最初は護国寺と掛け持ちで半月に一回くらいヘルプでホテルのフロントに入っていたのですが、卒業後、少し経ってグラフィーにフルタイムシフトに入ることになりました。

ホテルゲストのケアは本当に楽しかったですし、インターン、ボランティアを経てやりたいと思っていたことが、実務を通してこれだと感じました。ポジションや年齢関係なく提案、挑戦できるグローバルエージェンツの環境にいたかったので、ここで経験を積んでお金貯めて、そのうち海外にいこうかと思っていた頃です。

―フルタイムになって何か変化はありましたか?

山本さん:ヘルプの頃は分からなかったのですが、毎日フロントにいるとゲストとのコミュニケーションが深くなるんです。

オススメを教えた翌日には、昨日のお店良かったよって言ってもらえたり。どうして来てるのか、これからどこに行くのか、普段何しているのかとか、普通の生活では出会えない人達が毎日たくさんいる、そんなワールドワイドなコミュニケーションが楽しかったですね。

グラフィーでバイトしている頃も、祖父母宅でお世話になっていたのですが、在学から念頭にあった自立を強く意識するようになっていました。


(山本さんの働いていたグラフィーのフロント)

そんなとき、グローバルエージェンツで沖縄にホテルを出すという話を聞いたので、行きたいって思ったんです。社長がふらっとグラフィー来る機会があったのですが、そのとき、わたし沖縄行きたいですって直談判しました。

そのときは、「またまた~(笑)」って感じだったんですけど、本気だったら考えるよって仰ってくれて。あの時の自分、よく言ったなと思います。(笑)

―沖縄の話が社内で決まって、結構時間ありましたもんね。

山本さん:そうですね、まだ時間がありました。そんなとき、グラフィーに現れたのが、荒島さんです。(現在開発部マネージャー、当時グラフィーマネージャー)

ホント、センセーショナルでした。こんな人がいるんだなと!


(写真一番左、センセーショナルな活躍をした荒島さん)

当時のグラフィーは不便なオペレーションで、こうなったらいいなはあるけど、やり方が分からない、そんな状況に慣れてしまっていました。

そんなグラフィーのマネージャーとして颯爽と現れた荒島さんは、スタッフにやりづらいことを全てヒアリングしてくれて、バッタバッタと現場を改革していきます。

働きやすい環境が作られていくなかで、こんな風に仕事をしたい。そう思ったことを今でも覚えています。

既存のスタッフの気持ちをとても考えてくれる人で、美月は今後どうしたいという話のなかで、ステップアップのためやはり沖縄に行きたいという答えが出ました。そのとき荒島さんが、そのためのバックアップは全力でやるよ、と背中を押してくれまして。

廣田さんにも相談し、社長面談を2回してもらい、沖縄行きが決まりました。特にラベル(雇用方法)にはこだわっていなかったのですが、そのときからアルバイトではなく、開業からの立ち上げスタッフで契約社員として働かせてもらうことになりました。

―荒島さんのエピソードがかっこ良すぎて正直嫉妬です(笑)

山本さん:本当に尊敬しています。沖縄に行ってからは濱田さんとの出会いですね。(現在エスティネートホテルマネージャー)


(前段右から3番目、サービスのプロフェッショナルな濱田さん)

濱田さんはホテル経験がある方だったので、サービスやホスピタリティ、社会人としてのいろはを学びました。沖縄での2年は、楽しみ、そして悩んだ2年でもあり、自分の基盤になった2年だったのですが、今でもサービスで悩んだ時は、濱田さんだったらどうするかなと考えます。

―どんな悩みがあったのですか?

山本さん:ホテルのフロントで、ゲスト対応が中心の業務だったのですが、もっと責任がある仕事をしたいと悩むことが多かったです。

ゲスト対応はひと通りできるようになったと思っていたので、責任のあるプラスアルファの仕事をしてみたいなと。濱田さんは全部やっていいよというよりは、丁寧に指導してくれる部活の先輩みたいなタイプだったので、自分に決定権があまりないことに悩む時期がありました。

今考えれば、未熟すぎて、任せてもらえないのはもちろん当然だったのですが、当時は全く分かっていなかったんです。生意気でした。ある時濱田さんが、ゲストケアだけを考えられる時間は中々ないよ、と仰っていたのですが、今になってあの言葉の意味と濱田さんが私に沖縄で経験して欲しかったことが繋がっています。

そんななか、ちょうど沖縄で二年が経ち、今後について漠然と考えているとき、社長から京都行かないかとオファーがあります。


(沖縄のホテルで、ゲストからサプライズのギフトを頂きました)

―2017年7月オープンのミレニアルズ京都ですね。

山本さん:はい、開業準備から関われるということで、沖縄とは違う魅力を感じました。また荒島さんがプロジェクトの中心にいたので、また荒島さんと仕事できるというのも大きかったです。

廣田さん、濱田さんにも相談し、京都の立ち上げに正社員として関わることを決めます。2017.5に東京に戻って、本社で本格的なオープン準備をしました。

本社でのオープン準備期間は、現場経験しかない私には全てが新しく本当に楽しかったです。現場のことを考えて逆算しながら、ホテルがオープンするまでのプロセスに関われて、濱田さんから教わったことをアウトプットするいい機会でした。

毎日デスクに向かい、打ち合わせや会議、出張の日々で、初OLって感じですね(笑) 全てが新鮮でした。


(本社メンバーも交えた周年イベントにて)

―ミレニアルズ京都がオープンしてからのことも教えてください。

山本さん:現地入りしてからはそれこそカオスの一言です…自分なんでこんなできないんだろうと悩む日々でした。オープンしてからは、準備期間を凌駕するしんどさで…

メンタル的にも体力的にもとてもしんどかったです。アルバイトの子たちはみんな自分を頼ってくるし、アルバイト経験がある分その気持ちが誰よりもわかるし、ただ現場担当として判断が正しいのか分からなくて。でもやるしかなくて。(笑)

沖縄で求めていた責任は、京都にきて全然果たせていないという葛藤がありました。

そんななかでもスタッフは皆ついてきてくれて、来てくれるお客さんのことを一番に考えることを大切にしながら仕事に向き合う中で、段々と現場のチームも固まり、形になっていきました。

ただオープンをもう一回できるかと考えると、正直自信がない状態でしたね。


(スタッフに親身になって指導する山本さん)

―オープン当初は本当に大変でしたね…ただ京都のみなさんは、いつ行っても笑顔で迎えてくれて、とてもいいチームだなと思います。

山本さん:ホント、スタッフとゲストに助けられてきました。そんななか、ミレニアルズ渋谷のオープンが決まり、立ち上げのヘルプに行く機会があったのですが、最初は正直できるのか不安で。同ブランドの2店舗目として、力になれるのかと。結果的には自分の経験を清算するいい機会になりました。

京都でいっぱいいっぱいの中、開業経験をインプットできている感覚がほぼなくて、本当にこれでいいのかとやってきたことが、そこで形にできたんです。

こういうものが必要になる、こういう動線を作るとスムーズになる、こんなことで困る、というような京都での経験があったからこそ、先回りして考えることができて、いきなりの局面でも応用できたり、とても自信になりました。身についていたんだなと。

―それ、わたしも経験あります。これでいいのかなと手探りでやってきたことが、形になる瞬間ですよね。その経験ってとても大切ですよね。

山本さん:そうですね。京都ではこれでいいのか不安だったことが、渋谷で活かしてみると力になれることが多くて、積み上げてきたことを活かすことができました。今の自分だったら、またオープンの話があったときも手が挙げられると思います。


(フロントでのゲスト対応の様子)

―とても頼もしいですね。最後になりますが、これから仕事でやりたいことはありますか?

山本さん:今はもうすぐ一年経つミレニアルズ京都、またミレニアルズブランドをより多くの人に知ってもらうこと、来てくださるゲスト、働くスタッフがより安心して楽しめる環境を作っていくことです。

館内で自然に起きていることが実は凄いことだと思っていまして。国内外からの宿泊ゲスト、コワーキング利用者、現場スタッフ、プラスアルファの交流場所になっているということをもっと発信していきたいと思っています。

大変だった開業も過ぎてみればなんとやらで(笑)一緒に働く村上さんはじめ、スタッフはみんな優秀なので、毎日刺激を受けています。施設やスタッフに対して母のような、同志のような不思議な感覚です。ただ挑戦しながら、守っていけるようにもっと強くなりたい。

できなかったことができるようになることが、わたしの原動力になっているので、今後は特にホテル事業にとらわれず、そのときの環境でやりたいと思ったことに挑戦していきたいなと。プライベートも含めですね。この数年の自分の変化がとても面白いです。

ただ一年ってあっという間じゃないですか。ぼけっとしているとあっという間に過ぎちゃいますよね。後悔のないように今を全力で楽しみ続けたいです。

―できなかったことができるようになることが原動力であれば、なんでもチャレンジできますね。山本さんの積み上げてきたことが深くが知れた気がします。お話ありがとうございました。


(同じホテルで働く村上さんと打合せ)

ー編集後記ー

山本さんとは、ミレニアルズ京都のオープン時に初めて仕事を一緒しました。それまで数回面識はあったのですが、仕事を一緒する機会もなく、なかなか話す機会がありませんでした。ハキハキと自信満々に話す子だったので、こちら側が逆にタジタジしてしまったり(笑)

過去の話を聞いてみると、体育会系でダンスに夢中になっていたり、中心になって後輩を指導していたりと、彼女の自信満々で頼もしい雰囲気は、そんな経験から培われたのかなと妙に納得してしまいます。

実際に仕事を一緒すると、意外と控えめで、「わたしなんてまだまだなんで」と謙遜的な彼女。フロントでアルバイトの子たちとわちゃわちゃと戯れている姿をみると、まだ20代前半なんだなと思いつつ、いざコミュニケーションをするときは、目の奥に力強さと頼もしさを感じます。

これからも色んなことを吸収して、より社内の中心人物になっていくんだろうなという予感をヒシヒシと感じているところです。

そんな山本さんに会いたい方は、ミレニアルズ京都まで。気持ちの良いコミュニケーションで迎えてくれますよ。


<施設情報>
所在地: 京都府京都市中京区河原町三条下ル山崎町235
アクセス: 阪急京都線「河原町」駅、京阪本線「三条」駅、徒歩5分
客室数:152室
販売単価:6,000円前後
HP:https://www.themillennials.jp/kyoto

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