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自動車販売の営業からソーシャルアパートメントの営業へ転身した地方出身社員の話

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自動車販売の営業からソーシャルアパートメントの営業へ転身した地方出身社員の話

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首都圏中心に39棟約2,000戸(2018年7月時点)の交流型賃貸マンション「ソーシャルアパートメント」を企画運営し、近年ではカフェやソーシャルランドリー、ゲスト交流型のライフスタイルホテルを全国各地に手掛けるグローバルエージェンツ

「新しいライフスタイルを文化にする」をミッションに掲げるグローバルエージェンツでは、どんな”ヒト”が、どんな”想い”で、どんな”仕事”をしているのか。一緒に働く社員すら知らない同僚の昔ばなしを掘り下げながら、紐解いていきたいと思います。

今回の主役は、先日オープンしたネイバーズ浮間公園のプロジェクトを担当し、コンセプトの設計の段階から携わり、WEBプロモーション、内覧企画などの立役者であるソーシャルアパートメント営業部の古川美紀さん。

「キャラクターのコジコジに似ていると、社内でいじられます(笑)」と、ふわっと、かわいらしい雰囲気を持ちつつ、実は結果に貪欲で、主張するところはズバッと主張する意志の強さを持つ彼女は、どんな経歴を持ち、どんなことを見据えているのか、昔の話を中心に紐解いていきたいと思います。

※7,000字のロングインタビューです。短編インタビューはこちらをご覧ください。

【wantedly記事】グローバルエージェンツは、他人を認め合える人であれば、活躍できる職場だと思います。

インタビューイ
名前:古川美紀
年齢:28歳
部署:ソーシャルアパートメント事業 営業部
略歴:2017年2月入社。熊本で自動車セールスを経験した後、設計事務所のブルースタジオに転職。不動産の賃貸、管理業を経て、グローバルエージェンツへ入社。ソーシャルアパートメントの営業部に所属し、直近ではネイバーズ浮間公園のプロジェクトを担当。

インタビューア
名前:内山拓哉
年齢:30歳 ※2018.4時点
部署:ソーシャルアパートメント事業部
略歴:2012年7月入社。ソーシャルアパートメントに住むと同時に、土日のみの社会人アルバイトとして入社。前職との2足のわらじを履くうちに、満を持して正社員に。ソーシャルアパートメントの営業、運営、開発を経験した後、関西初のプロジェクトを担当。現在は拠点を神戸に移し、ウェブマーケティングやサイト管理などを担当。


(右:内山、左:古川)

―ネイバーズ浮間公園のオープンおつかれさまでした。初のプロジェクトにも関わらず、大成功でしたね。今日は古川さんの働く上での原動力を、昔話を交えながら教えて頂けたらと思います。

古川さん:ありがとうございます。おかげさまで、浮間公園も素敵な物件に仕上がりました。今日はよろしくお願いします。

―早速ですが、生い立ちから教えてください。

古川さん:熊本県熊本市の生まれです。田舎というほど、田舎ではないですが、地方の市街地寄りの環境で育ちました。

―熊本育ちは初耳でした。どんな幼少期でしたか?

古川さん:基本はおとなしい性格で、人見知りしがちな引っ込み思案の恥ずかしがり屋でした。ただ、兄2人の影響なのか、やんちゃな性格もちょっとあったり。

また本が好きで、黙々と一人で遊ぶ方が好きでしたね。ほかにも、ちょっと特殊な遊びをしていました。


(お兄ちゃん二人とのスリーショット)

―特殊な遊びというと?

古川さん:例えば、洗面器に水を貯めて、綺麗な石やビー玉をその中に入れて、ずっと眺めていたり。水に反射してきらきら光る様子が好きなんです。水の中で石やビー玉がぶつかり合う音も好きで、ずっと家の洗面台を占領していました(笑)

―なるほど、確かにちょっと特殊ですね(笑)

古川さん:やんちゃエピソードで言えば、登り棒によく登っていて、一番上で手を離してみたり、下り坂をブレーキ掛けずにチキンレースして、畑に突っ込んだりしていました(笑)

あと、竹馬とか得意ですよ。地元の竹馬競争で一位を取りましたし、竹馬でけんけんもできます。

お人形さん遊びとか、よく女の子が遊ぶような遊びが好きじゃなくて、ロングのリカちゃん人形の髪をバッサリショートカットに切って、母に激怒された記憶があります…


(小学校5年生、やんちゃさが滲み出てます)

―確かにやんちゃな印象を受けるエピソードです。小学校生活はどんな生活でしたか?

古川さん:書道を2年生のときからやっていて、香瓔会(こうようかい)という日本習字ではないのですが、一番上の位を持っていました。

あと小学校4年生からは、バドミントンを始めていて、週2回くらい練習をしていました。なので、わたしバドミントン結構得意ですよ。


(美紀氏作の掛軸、うますぎる、、)

―書道に、バドミントンに意外な特技ですね。社内でバドミントン大会したら活躍しそうですね。

古川さん:バドミントンなら社長にも勝てるかもですね(笑)その後、中学校でも部活でバドミントンを続けていました。ただ部内で色々揉め事があって、正直悲しいエピソードばかりです(笑)結構頑張って練習していたんですけど、ほら、年頃の女の子同士は色々とあるじゃないですか。

―なるほど、あえて聞かないようにします(笑)部活以外でのエピソードはありますか?

古川さん:そうですねー、勉強はあまり得意でなかったですが、英語は好きでした。当時通っていた塾の先生が、めちゃくちゃ教え方が上手で面白い授業をしてくれたんです。唯一好きな教科になりましたね。高校進学も、地元で英語が勉強できる普通科の国際コースに進学しました。


(中学校時代、バドミントン部にて)

―高校はどんな学生生活でしたか?

古川さん:いわゆる普通の高校生活です。3年間クラスが変わらなかったので、クラスの人達とすごく仲良くなりましたね。結構ふざけたことが好きな人が多くて、立入禁止の公園に侵入したり、カラオケ行って補導されたり。ほかにもネットカフェに行ってビリヤードしたり、自転車で中心街に行ったり。楽しかったなー。

高校の時の友達とは今でもよく会います。ここで一生の友達ができました。

―地方出身者には馴染みのある高校生活ですね。その後は進学ですか?

古川さん:はい、地元の文系の大学に進学しました。実家から通える大学で、国際コースに通っていましたし、自然とそんな感じかなと。


(高校1年生のときのオーストラリア研修にて)

―あれ、思っていた以上にずっと熊本いたんですね。もっと都会的なイメージ持っていました。

古川さん:いやいや完全な地方組ですよ。地元で平凡な暮らしをしていました。大学生活も割と平凡でしたし。わたしの大学生活を表すと、部活かバイトかトランプって感じでしたね。

友達に誘われて、陸上部に入っていたんですけど、地元のマラソン大会とかに出ていました。走るのが好きで、高校生のマラソン大会のときとか、みんな嫌がるけど、わたしだけワクワクしているような。

地元のローソンや眼鏡屋さんでバイトしたり、友達とひたすら大富豪をしたり、そんな大学生活でした。


(大学4年生、バド部の後輩と)

―周りが気乗りしないことでも、一人ワクワクしている古川さんってなぜか結構イメージできます(笑)

古川さん:あ、ありがとうございます(笑)大学卒業後は、地元のスバル自動車に営業職として就職しました。

従兄弟のお姉ちゃんが、数百万するような高価な着物を売る営業をしていて、トップセールスマンだったんです。

お姉ちゃんは私の憧れで、私もお姉ちゃんのように高額な何かを売る仕事がしてみたい、いろんな人とそつなく話ができるお姉ちゃんの様になりたい、と思ったんです。スバルは名が知れているし、親も安心するかなという理由で選びました。

―まさかの自動車セールス!全然イメージしていませんでした。

古川さん:社内でも知っている人少ないかもですね(笑)いわゆる営業の基礎的なことは、このスバル時代に身についたと思います。ちゃんと外回りもしましたし、電話営業もめちゃくちゃしました。

地方、自動車、営業をキーワードにすれば、イメージしてもらえるかもですが、ノルマも厳しくて、達成しないと怒られるような環境です。営業活動自体は結果も出て楽しかったものの、古い社風が合わず、割と序盤でこの仕事は長く続けられないと思っていました。


(スバル時代の古川さん)

―自動車のセールスで結果出すことは大変な努力がいる印象です。どれくらい続けましたか。

古川さん:1年半くらいでしょうか。早い段階で辞めることも考えたのですが、周りには「仕事なんてきついものだ、とにかく3年続けなさい。」と言われていました。なんの3年なんだろうって違和感を持ちましたが、ただ何も結果も残さず、逃げるように辞めることも嫌だったので、まずは結果にこだわりました。

実績を残してから辞めよう、実績を残せなかったら周りが言うことに従って3年続けよう、そう思いました。

自分の中で1本筋を通したくて、自分のステップアップになるよう得るものを得てから辞めたかったんです。

入社当時は営業についても車についても知識が浅かったため、ただ誠実にお客さんと向き合うことを必死で行ってきました。お客さんが何を求めているかにトコトン向き合い、潜在的に求めていることを提供できるよう意識するようになりました。そしたら自然とお客さんが増えてきて。

結果的に1年目で新人賞とスバル独自の賞のダブル受賞することが出来て、さあ満を持して辞めようという状態になります(笑)

―ちゃんと決めたことを達成してから次にという意志力というかコミット力が素晴らしいですね。

古川さん:結構負けず嫌いですからね。その後は、前から気になっていたブルースタジオという建築設計事務所に転職しました。


(新人賞を獲得したときの表彰状)

―また違ったジャンルに挑戦したのですね。

古川さん:人並みにインテリアが好きで、インテリア雑誌とかよく見ていました。そんななか、ブルースタジオの「うめこみち」という物件が特集されていて。庭を囲うように4つの物件があって、その庭を中心にコミュニケーションが生まれるような物件なんですが、素敵だなと思っていました。

いいな、いいな、こんな仕事に関われたら素敵だなとスバル時代から思っていたので、転職できる、よし転職しよう、みたいな感じです(笑)

―ブルースタジオは東京ですよね?地元を出ることに抵抗はなかったのですか?

古川さん:特に抵抗はなかったですね。スバル時代はとにかく忙しくて、プライベートもろくになく、毎日が何も進んでいないような焦燥感に捕らわれていました。とにかく今の現状を打破したいと思っていて、いいなと思った企業がたまたま東京だったというだけで、特に東京で働きたいということではなかったですね。

ただ、お母さんは地元にいて欲しかったようで。上京することに反対されることが分かっていたので、転職が決まって上京する決心がついた後に両親に事後報告したんです。結果、泣かせてしまいましたが(笑)


(古川さんが影響を受けたうめこみち) ※写真 ブルースタジオ公式HP参照 

―ブルースタジオではどんな仕事を?

古川さん:営業の経験が活かせる不動産の部署を希望していましたが、最初の半年間は経験もなかったので、総務の仕事をしていました。最初、考えが甘かったなと思いましたね。

営業のスキルを活かせると思っていましたが、不動産の営業は専門的な知識が必要不可欠だということを、その時思い知ったんです。

とにかく勉強しないと、と思い宅建を勉強したり、不動産の知識を増やそうと頑張ってました。宅建を持っていないと重要事項説明ができないので、お客さんを案内しても、契約ができないんです。

当時上司に「宅建を持ってないやつは半人前以下だ」と言われて。不動産仲介の仕事をしている以上、それはそうなんですけどね(笑)それが悔しかったので、仕事から帰ったあと毎日勉強して、宅建も無事に合格しました。

―宅建は国家資格でなかなか難易度高いですよね。ここでもコミット力を発揮していますね。

古川さん:さっきも言いましたが、きっと負けず嫌いなんですね(笑)ブルースタジオは、建築の会社で、古い建物をリノベーションして、専任でプロモーションまでする会社です。コミュニティ形成型の賃貸住宅を多く扱っていたのですが、こういう場所が作れるってすごいなと思っていました。

私も入社時に、ブルースタジオ監修のシェアハウスに住み、住居のコミュニティに初めて触れたのですが、とても楽しかったですね。そこで2年半ほどお世話になりましたが、その時の暮らしはいい思い出ばかりです。また、下北沢にあるシェアハウスの管理業務を担当していたのですが、管理の大変さをここで体験します。

こうした方がいいという改善点はたくさん見えてきたのですが、PM※だとやれる範囲が狭くて、絶対ML※の方がいいなと思っていました。

そんなとき同僚が、美紀ちゃんはこういうの好きなんじゃないかなと、ソーシャルアパートメントを教えてくれて、グローバルエージェンツに興味を持ちます。

※PM:プロパティマネジメント、運営受託の契約を指す。運営だけを任される契約で、稼働のリスクは所有者が負う分、所有者の意向が強く反映され、運営者の声が届きにくいケースがあり得る。

※ML:マスターリース、いわゆる運営者が、所有者から一括して建物を借り、所有者として転借をする契約。運営者が所有者の立場を取るため、運営者が稼働のリスクを負う分、運営の意思決定をしやすい。


(古川さんが担当したプロジェクト ネイバーズ浮間公園のラウンジ)

―ここでグローバルエージェンツが登場しましたね。ソーシャルアパートメントはMLの物件も多いですしね。

古川さん:はい、せっかくコミュニティ形成型の素敵な賃貸住宅を扱っているのに、こうしたらいい、ああしたらいいを、チャレンジできないことは、もったいないと思ったんです。

もちろんオーナーさんの事情がありますし、PMの立場上できないことが多いのは当然ですが、よりよくするための意思決定がスムーズな方が、よいコミュニティ賃貸が作れるんじゃないかと思いました。

―実際入社して、思っていた環境と違う点はありましたか?

古川さん:いや特になかったですね。面接の段階から、風通しのよい会社な印象を受けていたので。特に気に入ったことが、ワンフロアでみんな働いているということです。社長が目と鼻の先で働いている感じが新鮮で、個人的に気に入っています。

営業部での配属だったので、もう少しピリピリしているムードかなとも思っていたのですが、全くピリピリしてなくて、思っていた以上にフラットな感じでしたね。


(オフィスでの一コマ)

―今の業務内容のことも教えてください。

古川さん:ソーシャルアパートメントのウェブサイトから、ソーシャルアパートメントに興味を持った人に、物件を案内する仕事です。最初はメールや電話で対応し、実際に物件を内覧します。毎回お客さんに会うことがとても楽しくて、どんな背景で興味を持ったとか、背景を聞くことが好きですね。

お客さんの話を掘り下げて、この人は最終的には何を求めているのかまで聞けると、とても嬉しいです。

―この前は浮間公園の新規プロジェクトを初めて担当していましたね。

古川さん:大変でしたが、オープンして人が住み始めて、コミュニティが形成されている様子を見ると、感慨深かったです。コンセプト作りの段階から、チームのメンバーディスカッションを重ね、「橋」を物件の象徴にしたいと、わたしの案が実際にかたちになったときは嬉しかったなー。

―物件も素敵な感じに仕上がりましたね。最後の質問になりますが、今後仕事やプライベートを通して、見据えていることはありますか?

古川さん:そうですね、そこまで大層ではないですが、もっと不動産や建築に関わる勉強したいなと思っています。今回のプロジェクトでも、建築的な知識や経験が乏しく、周りのメンバーを頼りきりだったので、もっと自分で、プロジェクトを推進できるようになりたいなと思いました。

あとプライベートでは、英語をもっと勉強したいです。高校のときは、英語が好きでしたが、今はめっきりなので、もっと話せるようになれたらいいなと思います。


(プロジェクトチームのメンバーと一息)

―古川さんの勉強したいの原動力はなんですか?勉強も原動力がないと頑張れないかなと思いまして。

古川さん:なんででしょう、、やっぱり知識って大事じゃないですか。知識がないと周りも任せようってならないですし、頼っても貰えない。

わたしは仕事をする上で、人に頼られるような自分になりたいなと思っているんです。わたしって頼りなさそうに見えませんか?(笑)昔から周囲に頼られている人に憧れを持っていて、わたしも周りから頼られる人になりたいなと。

頼られる人になるには、やっぱり知識を付ける必要があると思っているので、まずは勉強をという感じでしょうか。

頼りにしてもらえる自分になりたい、そんな想いがわたしの原動力かもしれません。

―古川さんの原動力が知れてよかったです。素敵なお話ありがとうございました。

(編集後記)

古川さんのことは、入社時にブルースタジオで働いていたという情報しかなかったので、ローカルというより、クリエイティブ最前線でアーバンな印象を勝手に持っていました。

話を聞いたところ、思っていた以上に地方暮らしのエピソードが濃く、群馬出身のわたしも頷けることが多々ありました。

ふわっとしている印象でしたが、負けず嫌いで結果にコミットする力をヒシヒシと感じ、これと決めたら、どんなことでも達成できそうな子だなという印象を受けます。

「頼られる人になりたい」

そんな原動力を持つ彼女であれば、どんな仕事でもどんな職場でも、必ず結果を出して、周囲に頼られる存在になっていくんじゃないかと、改めて頼もしさを感じています。

(Text by UCHIYAMA)

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