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明確な答えがないから楽しい。新しいもの好きな彼がワクワクすることとは?

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明確な答えがないから楽しい。新しいもの好きな彼がワクワクすることとは?

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首都圏中心に40棟約2,000戸(2018年8月時点)の交流型賃貸マンション「ソーシャルアパートメント」を企画運営し、近年ではカフェやソーシャルランドリー、ゲスト交流型のライフスタイルホテルを全国各地に手掛けるグローバルエージェンツ

「新しいライフスタイルを文化にする」をミッションに掲げるグローバルエージェンツでは、どんな”ヒト”が、どんな”想い”で、どんな”仕事”をしているのか。一緒に働く社員すら知らない同僚の昔ばなしを掘り下げながら、紐解いていきたいと思います。

今回は、ソーシャルアパートメント運営部に所属し、建物管理やオペレーション改善など、ソーシャルアパートメントの運営や管理に携わる秋元宏之さんにスポットを当てます。


(ひょうきんな印象の秋元さん)

秋元さんは、先日社内外から注目を集めたイベント「ソーシャルイケてナイトアウト」を主催。

なかなかコミュニティに馴染めない人や一歩が踏み出せない人たちのために開催されたイベントで、大きな反響がありました。

【関連記事】求む、非リア充!ソーシャルイケてナイトアウト

ソーシャルアパートメントの価値として、多様な価値観に応えるため、今までにない切り口が必要だと、新しいチャレンジを試みる彼は、どんな世界を見ているのか。

ソーシャルアパートメントへの興味問わず、一人の物語としてお楽しみください。(※8,000字を超えるロングインタビューです)

インタビューイ
名前:秋元宏行
年齢:30歳(2018年8月時点)
部署:ソーシャルアパートメント事業 運営部所属
略歴:2017年10月入社。ソーシャルアパートメント運営部に所属。ハード面の運営管理はもちろん、ソフト面の運営にも携わる。浮間公園の新規プロジェクトを担当し、ライブストリーミング内覧やスマートロックなど新しい試みを先導している。

インタビューア
名前:内山拓哉
年齢:30歳 (2018年8月時点)
部署:ソーシャルアパートメント事業部
略歴:2012年7月入社。ソーシャルアパートメントに住むと同時に、土日のみの社会人アルバイトとして入社。前職との2足のわらじを履くうちに、満を持して正社員に。ソーシャルアパートメントの営業、運営、開発を経験した後、関西初のプロジェクトを担当。現在は拠点を神戸に移し、ウェブマーケティングやサイト管理などを担当。


(フットサルがお好きとのことで、無駄にフットサルコートで取材させてもらいました)

―同い年ということで、とてつもなく親近感は持っているものの、入社までの背景を聞いたことなかったので、楽しみにしていました。よろしくお願いします。

秋元さん:インタビューは全然いんだけど、話すことないから多分3行で終わりますよ(笑)

―そんな夢のないこと言わず(笑)早速生い立ちから教えてください。

秋元さん:出身は、埼玉県の川越市です。ベッドタウンでしたが、比較的大きな街で、近くにダイエーとかありました。

―どんな幼少期を過ごしましたか?

秋元さん:いわゆる普通の暮らしだと思っていましたが、最近人の話を聞いて比べると、結構アクティブだったなと思います。親父が奄美黄島出身で、冒険ヤローだったのですが、小さい頃からいろいろなところを連れ回してもらっていました。

日本中心でしたが、キャンプとか山とか島とか地方とか。大人になって行った場所で、ああ、ここ小さい頃来たな、と思うことが多々あります。そんな背景からか、小さい頃から一人でも、色んな場所にふらふら行っていた記憶があります。例えば、近所のダイエーとか。


(幼少期の秋元さん)

―ダイエーですか?何を目的に?

秋元さん:いわゆるウィンドウショッピングです(笑)子供の頃から新しいものが好きで、特におもちゃが大好きでした。新しいおもちゃが出ていないかと近所のダイエーやハローマックに通う日々です。

今もガジェット好きなのですが、間違いなくおもちゃ好きが影響していると思います。ビーダマンとかミニ四駆とかベイブレードとか、ブームが去り、周りでもう誰もやってないのにも関わらず、夢中になって一人でも遊んでました。

―お母さんもなんというか、お父さんのように冒険心旺盛だったのですか?

秋元さん:母はどちらかというとミーハーというか(笑)福島出身だったのですが、東京に上京してきて、オシャレが好きだったり。なので、父の冒険心と母のミーハーが半分ずつ、自分の性格に反映されている気がしますね(笑)


(ハローマックに通う日々、、だった頃)

―なるほど(笑)秋元さんはフットサル好きだったと思いますが、小さい頃からスポーツを?

秋元さん:小学校5年の頃から野球をしていました。あまり打てなかったですけどね(笑)中学校も野球部だったのですが、スラムダンクに憧れて、休みの日はバスケをしていましたね。

と言いつつ、テスト休み中はサッカーをしていたりと、とくにこれってスポーツよりも、なんでもやっていました。

―スラムダンク、我々世代のバイブルですね。最初の大きな進路選択は高校かと思いますが、どんな進路を選びました?

秋元さん:理科と社会がとにかく苦手だったので、3教科で受験できるところを狙いました。理社は暗記科目で、国数英は思考科目なんですよ。思考系の科目はそこそこ得意だったので、偏差値も3科目と5科目でかなり差があったので、その強みを活かせる進路を狙いました。

―中学生でえらく戦略的ですね(笑)

秋元さん:当時から自分の手持ちのカードだけで、目標にいかに効率的に最短で楽して到達するかを考える狡いタイプだったので、高校受験もある意味戦略的でしたね。結果的に公立で人気のある高校の情報処理科に入学しました。

ただ、当時はそれほど情報処理に興味があったわけではないのですが、3科目で入れるところを探して、消去法的に…情報処理科なので、パソコンをめちゃくちゃ使うのですが、その頃はプログラミングとか大の苦手で。当初は学年ビリくらいのレベルをウロウロしていました(笑)


(野球少年だった頃)

―高校でも野球を?

秋元さん:いえ、高校ではサッカーを本格的に始めました。野球部がなかったのと、ちょうどワールドカップが盛り上がっている時期だったので、その流れで。周りが経験者で、素人ではなかなか試合に出れなかったのが悔しくて、結構ガチで練習していました。

結果的に高校3年間は比較的部活三昧で、勉強は二の次でしたね。

平均50点のプログラミングのテストで、「20点以下が2人いる」と担任から発表された時に自分の点数を見たら5点で、絶望したのを覚えています。

―5点って(笑)その後はどんな進路を?

秋元さん:大学行くかは、途中まで迷っていました。手に職を付けようと思い、美容師の専門学校の見学会に行ってみたり。専門学校は1日5限だったので、中途半端な意志で選択するものではないなと思いやめましたが…

結果的に、これといった理由はなく、家の近くに系列のキャンパスがあって馴染みがあり、学費も比較的安かったりという安易な理由で某私立大学に行くことになりました。


(プログラミングテストで5点だった高校時代)

―どんな大学生活でしたか?

秋元さん:正直大学生活の記憶がなくて(笑)実家から通っていたのですが、近所にパン屋さんがあって、そこでパンを買って、図書館で本を読む、という牧歌的な生活が日課になっていた気がします。

1時間30分くらい通学時間があったので、通学がめんどくさくなったんですよ(笑)
一時期は本当に落伍者の様な生活を送っていたように思います。

―図書館でどんな本を読んでいたのですか?

秋元さん:本は、小説だったり飽きてきたら適当な画集だったり。姉貴が絵を描いていたので、絵には少し興味がありました。絵そのものよりも、描いた人がどんな人物だったとか、興味があって。モネとか。基本画家って金なくてパトロンいないとやってけなかったんだなとか、その当時の背景的な要素がおもしろかったですね。

―背景に注目するとは特徴的ですね。ほかにはどんな思い出がありますか?

秋元さん:父の影響でバイクが欲しくなって、バイクを買うためにバイトをしていました。

友人の親父の会社を手伝ったり、有楽町国際フォーラムのイベントのボーイさんだったり、ピザ屋だったり、バーミヤンだったり、掛け持ちで15時間とか働いていましたよ。


(牧歌的な生活を送っていた大学時代)

―バイクを買ったときは、念願のバイクを手に入れたぞ!ってやつですか?

秋元さん:いやそんなに(笑)モノに執着がないので、カスタムにも興味なかったですし、とりあえず遠くに行ければいいやと。ただ思い返すと、せっかくバイク買ったのにあまり遠出しなかったですね。

西は名古屋、北は茨城くらいでしょうか。遠出しようとバイクで出かけるのですが、寂しくなって、途中で帰って来ちゃうんですよ(笑)

あと大学時代の印象的な話として、友達に影響を受けて初めて海外に一人旅で行きました。バックパッカーで、ニューヨークに行ったのですが、当たり前ですがニューヨークってブロックごとにカラーが全然違うんです。

当初はニューヨーク以外も行こうと思っていましたが、行く先々で出会った人と遊んだり、ゲイバーに潜入したり、ニューヨークが楽しすぎて、結局2週間ぐらいニューヨークをひたすらぶらぶらしていました。(なぜか和田アキ子にも会った)

その体験からか、今でも年に1回くらいは海外旅行するようになりましたね。

 

―確かにこの前も一人旅していましたね。アジアによく旅行行っているイメージです。

秋元さん:アジアってルールが整っていないカオスな感じがいいですね。あと単純に島が好きで、海外の海辺とか島をひたすら回ることが多いと思います。

―島はなぜ好きなんですか?

秋元さん:なぜ…なぜか、、例えばよくある開放的だとか、自由だとかラベリングできそうな言葉は出てきますけど、、なんかそういう言葉でもない気がしていて、DNAレベルで刻まれている「好き」な気がします。


(大学時代、タイにて)

―DNAレベルって深いですね、大学卒業後はどんな進路を?

秋元さん:東京の建築設備関係の会社に就職しました。ここにも大層なエピソードはなくて(笑)

説明会にいって、とりあえず面接に申し込んだら、トントン拍子に選考が進んで。会社近くに新築の寮がオープンするから、家賃も掛からないし、通勤もいらないし、採用してくれるというから、そこに入社しました。

食品会社のセントラルキッチンを作ることがメイン事業の会社で、ほかにもコンビニの設備系を導入したり。身近なところは、コンビニの揚げ物のフライヤーのユニットとかですかね。食品工場向けのシステムだったりと、わりとニッチな商品を取り扱って、日本全国を回ったりしていました。

グローバルエージェンツに入社前に働いていた企業なので、7年くらい働いていましたね。

―意外と長く働いていたんですね。飽き性で新しいモノ好きの印象でしたが。

秋元さん:1,2年ごとに部署異動があったり、自由にやらせてもらっていたので、結構続きました。思い返せば、なんだかんだ楽しくやっていた気がします。

ただ職場環境はあまり良くなかった様で、毎週誰かしら行方不明になったり、毎月レベルで人が病んでいくような…こういうのはあまり言わない方がいいのかな(笑)

そんな環境でも飄々と仕事していて、自分は言いたいこともあまり我慢出来ないタイプだったので、職人のおっちゃんとかにも歯向かっていました。

設備って、熱負荷の計算とか、空気の圧力の計算とか、かなり理系寄りの知識が必要なのですが、さっき話した通り理科に当初苦手意識を持っていたので苦労しました。


(前職時代の同期と、画質悪い 笑)

―なるほど(笑)設備の仕事ってイメージしにくいのですが、もう少し教えてもらえますか?

秋元さん:確かに分かりにくいですよね。よく人に説明する例として、「ゼネコンが建物で骨を作り、設備は建物の内蔵を作る仕事」と話していました。

建物が稼働するために必要なモノを、整える仕事が設備の仕事ですね。人も骨だけあっても動かないですし、脳や心臓など、内蔵がないと動かないですよね。

それと同じで建物も動かすために、電気が必要かもしれないし、身近であれば空調設備が必要かもしれないし。そんな建物に必要な設備を整えることが仕事でした。

―仕事の内容的には、ずっと設備に関する技術者、ですか?

秋元さん:7年もいたので、アプリを作ったり、システムを提案する営業もやりましたし、作業着を着て、現場にビッタリな技術の仕事もしましたよ。パン工場の湿度を管理するシステム導入のときとか、天井裏に入って12時間くらいホコリと汗まみれで作業したり(笑)

現地調査して、どんな設備を導入するか、計画立てて、職人に落とし込む。一通りの仕事はできるようになったと思います。


(野外が暑すぎたので、室内へ。設備の話になると饒舌な秋元さん)

―思っていた以上に、設備関係に詳しかったのですね。噂のフットサル活動も当時から?

秋元さん:噂のって(笑)運動したかったので、週末はフットサルのマッチングサイトを使って、毎週のように違うメンバーとフットサルをしていただけです。

―入社時の社長の紹介で、一番ソーシャルな人物かもしれないと紹介されていましたね(笑)
※グローバルエージェンツでは入社時に、代表が全員の前で新入社員をおもしろおかしく紹介してくれる素敵な文化があります。

秋元さん:別に特別ソーシャルな属性というわけでもなくて…フットサルをやりたい、ただ社会人サークルのように縛られたくない、ならそれ専用のサービスあるから使おうって感じです。

当時はMixiのコミュニティを使っていましたが、段々とソーシャルなマッチングサイトが主流になってきまして。LaBOLA(ラボーラ)というスポーツのマッチングサイトを使っていたのですが、毎週違ったメンバーとフットサルをしていました。

―そう聞くといわゆるソーシャルな人なのかなと思ってしまいますが、そうじゃなかったんですね。

秋元さん:そうでもないです(笑) 世の中には意外と知られていない便利なサービスが沢山あるので、便利なんだからどんどん使えばいいじゃんという感じです。

社会人サークルのようなものに所属してしまうと、ただフットサルをしたいのに、日程を決めたり、場所を決めたり、面倒事が増えるじゃないですか。

であれば、こういう便利なサイトを使って、必要なときに、必要なだけ、オンデマンドで楽しめればいいかなというだけです。世の中のあらゆることがそうなっていくように。

ただ、段々と顔なじみはできますし、そんな人たちとまた同じチームで会ったり、飲みに行ったり、フットサルを1つのツールとして、交友関係が広がっていく感じは楽しかったですね。


(別にソーシャルじゃねーからと、秋元氏)

―オンデマンドでスポーツするってキャッチーですね(笑)グローバルエージェンツに転職した理由はなんですか?

秋元さん:残りの人生この仕事を続けるのは少し違うなという漠然とした意識は常にあって。

何度か転職を考えたときはあったのですが、当時これといってやりたいと思えることがなかったですし、少し惰性で続けてしまった部分はありました。

そんなとき、仕事百貨でグローバルエージェンツの求人を見つけました。

この記事:住まう文化(日本仕事百貨より)

実は、ソーシャルアパートメント自体は、6,7年前から知っていて、新しい取り組みだなと、興味は持っていたんです。当時社長のTwitterを常にチェックしたり、あんまフォロワーいないなと邪推したり。あ、これは書かないでください(笑)

とりあえずこれはちょっとした運命だと思い、試しに応募してみました。そしたら、幸いにもオファーをもらうことができて、今に至ります。


(オープンしたばかりのネイバーズ浮間公園ラウンジ)

―なるほど、転職の決め手はなんでしたか?

秋元さん:今までは無機なものというか、工業的な機能を作る仕事だったので、創造的な要素があまりなかったんです。ソーシャルアパートメントの場合、ソフトな世界観も合わせて作っていけるので、独自性があって、おもしろそうだなと、いっちょやってみようと思いました。

工業的な機能に最適化された建物(ハード)って、ただ見ててもそれ程おもしろくないじゃないですか。グローバルエージェンツは、常に新しい文化やスタイルといったソフトを取り入れていく風土を感じたので、新しいもの好きな自分には合っているかなと。

―現在の仕事内容のことも教えてください。

秋元さん:ソーシャルアパートメントの運営部で、ハード的な建物の管理業務全般やコストの見直し、最近では新規物件の立ち上げも担当しています。最近オープンしたネイバーズ浮間公園ですね。

ソフト的な部分では、前回は「ソーシャルイケてないとアウト」を企画したり、住んでいる人たちの多様なニーズにいかに応えるかを考えています。


(家電などの選定も秋元さんの仕事)

―内覧会のライブストリーミングとかも試していましたね。秋元さんの周りでは、割と新しい物事が動いている気がします。

秋元さん:最初に話した通り、新しいもの好きなだけですよ。ガジェット系とかも好きなので、おもちゃのようにそれらで遊んでみたいだけです。新しいものや知らないことって単純にワクワクするじゃないですか。そこにロジカルな理由はなくて、感覚的な理由が大きいです。

そうした活動に仲間が呼応して楽しんでくれたらもっと嬉しいし、自分もより楽しい。

だから、なぜそれをやろうと思ったのと聞かれても、「おもしろそうだったから」としか答えられないこともあって、後付で理由を必死に考えています(笑)

―その感性は羨ましいですね。最後になりますが、これからやってみたいことや興味あることはありますか?

秋元さん:新しいテクノロジーに興味があります。例えば、既に話題のドローンとかVRとかARとか。グローバルエージェンツも「テクノロジー元年」と銘打ってチャレンジし始めているので、仕事でも新しいテクノロジーをどんどん取り入れて、試してみたいですね。

(社長、ドローン欲しいです)

あと、個人的にはソーシャルアパートメントは不動産賃貸業ではなく、一種のサービス業だと勝手に捉えています。もちろん売上や稼働率は大事ですが、それだけじゃなく、定量化出来ない、例えば『個人の人生への影響度』など、もっと別の指標があっていいはずです。


(未来を楽しそうに語る秋元さん)

それをどう可視化するかなど、課題はありますが、多様性を謳うソーシャルアパートメントは、文字通り、多様なニーズに応えられる場であるべきだと思っています。

世の中の流れをみていると、物理的な欲求が満たされて、承認欲求を満たすことにシフトしているじゃないですか。

例えば、最近はただ映画を観たりする様なコンテンツを一方的に享受するより、身近なところで造り手になる方が面白いという時代になっていると思うんです。

知らない芸能人が出ているTV番組を観ているよりも、身近な気の合う仲間とおしゃべりしたり、内輪でイベントを作っている時間の方が何倍も楽しい。

世の中の興味の範囲って、狭く深い方に向かっている様に思います。


(絶対ニーズがあると秋元さんがこっそり入れたニンテンドークラシックミニ)

先日はソーシャルアパートメントに住んでいるけど『正直そんなに人付き合い得意じゃない』『最近ソーシャル疲れしている』という人達を対象とした「ソーシャルいけてナイトアウト」というイベントを企画しました。

ソーシャルアパートメントに住んでいると、客観的には皆リア充だと思われがちですが、上記の様な人達も実は沢山いて、そういう人達にどうしたらソーシャルアパートメントでの生活をもっと楽しんで貰えるのか、ということを主旨とした企画でした。

そんな風に、個々人の潜在的で多様な興味の部分を、もっと顕在化させていきたいですね。

今秋には、ソーシャルアパートメントで運動会を企画していて、幹事は入居者の皆さんにお任せしているんです。


(幹事のみなさんと打ち合わせの一コマ)

これは実験的な取り組みの一つで、ただの参加者としてイベントに参加してもらうよりも、入居者さんに造り手に回ってもらった方がイベントとしての満足度は高いのではないかという仮説です。

実際に既にプロジェクトが動き始めていて、入居者のみなさんで、役割分担して、プロジェクトが進んでいます。

我々が提供するのはあくまできっかけで、住んでいる人たちが、他の住んでいる人たちを巻き込んでいくのが本来あるべき姿で、その方がより楽しいという仮説を検証する機会でもあり、この企画も楽しみです。

こういうのは、明確に答えがないから楽しいです。既に正解がある様な企画は、他の優秀な人達が既にやっているので、後追いしても楽しくないじゃないですか。

やはり答えのないところがおもしろくて、自分のワクワクをくすぐるところだと思います。

―3行では終わらない素敵な話でした。改めてお話ありがとうございました。


(とても楽しい取材となりました)

【編集後記】
秋元さんと話していると、「こうあるべきだ」という決めつけがなく、常に自然体で、本質的な部分を見極めようとしている印象を受けます。

進路選択のときも「学費が安かった」とか「近かったから」とかで、サクセスストーリーで語られがちな「◯◯がやりたかった」という明確なものはなく、その環境で、どうしたら自分が楽しめるのか、ワクワクするのかを自然と見据えている気がしました。

ソーシャルアパートメントには、イケてない人もいるだろうから、イケてないとアウトを開催してみる。参加者ではなく、企画者でありたい人もいるだろうから、入居者幹事制にしてみる。

そこには彼なりの仮説があって、その実験を経て得られる結果が、彼の新しいモノ・コトにワクワクするという好奇心に繋がっていることを知りました。

新しいモノ・コトにワクワクすることは、全世界共通なはず。だけど、そのワクワクを見逃さず、行動に移せる人は実は少なかったりします。

彼のようなタイプには、新しいモノ・コトが集まり、自然と周囲に人が集まってくるんだろうなと思うインタビューでした。

(Text by UCHIYAMA)

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